贈り物にお金はダメだ

僕は広島出身。東京在住だ。
だからと言って、お盆だから、正月だから、という理由で広島に行くことはない。
だから、親戚と直接会うことは滅多にない。

今日は、子供の誕生日であった。
親戚は誕生日プレゼントを僕の子供に買ってあげたいらしい。
だけど、広島-東京という物理的な距離が問題となり、直接買ってあげることはしてくれなかった。
その代わりに、お金をくれた。
それは、結構な金額だった。

好きなものを買ってやれ。ということだと思う。
その気持ちは嬉しいのだが、君らはそれでいいのか?と思う。
はっきり言って、そんなことに意味はないと思う。ただの自己満足だ。
お金をくれるだけの人なんて、財布としか見られなくなるから。
ちなみに、僕はそれでも構わない。
財布が増えて便利とかそういう意味ではない。
誰が財布になろうと僕には何の関係もないからだ。

僕はお金をうけとる時に提案した。
これだけのお金をくれるくらいなら、会いにきなよ。と。
広島と東京だ、新幹線でも飛行機でも、体力的には辛いかもしれないが、日帰りできないことはない。
始発で来れば、昼には着く。
だったら、昼ごはんを一緒に食べて、どこかに観光に行けばいい。
スカイツリーでもいい。上野動物園でもいい。
広島から出たことない人たちにとって、東京は珍しいところだ。
同じように、2歳になる子供にとっては東京はどこでも珍しいところなのだ。
どこでも遊びに行ける。
実際に、2月には、広島から来たクリスタルボウル演奏家三桃さんと、子供を連れて東京タワーに観光に行ったこともある。
何も買わなかったけど、楽しかった。あの時間があれば、物はいらない。

誕生日プレゼントは、もらったあとに嬉しさがピークになるのではない。
誕生日プレゼントは、もらう瞬間がピークだ。
もらう瞬間がないと、、誕生日プレゼントはその体をなさない。
ものが増えた。ラッキー。で、終わりだ。
お金があれば好きなものが買える。だから嬉しい。
この嬉しいは、好きなものが買えることに対する嬉しさであって、もらえることに対する嬉しさではない。
好きなものが買える嬉しさと、もらえる嬉しさは異なるものだ。

そして、誕生日プレゼントとは、物質や値段の高低に限定されるものではない。
一緒に過ごした時間は、物以上に大事なものになる可能性を秘めているはずだ。
お互いに。
一緒に遊びに行き、行った先で買ったお土産。
それは、決して高いものである必要はない。
このお土産は、親である僕からは絶対にプレゼントできないものだ。
お土産には一緒に遊んだ事実が含まれているから。
一緒に過ごした時間は、どんなに大金を払っても買えないものだ。

残念ながら、貰ったお金の使い道は決められていない。
探しに行ったけど、決められなかった。
お金をくれた人と過ごす時間以上に価値のある物質が見つからなかった。
だから、言いたい。
お金を贈ってはダメだ。
そんなお金があるなら、一緒に時間を過ごしたり、直接物を贈ることに使ってください。

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